「厄年」とか「厄落とし」とかって、やったことなかった。 ゲンは担ぐほうなんだけど、母親が 厄年だとか、年まわりが悪いとかをやたら言う人なので、なんとなくおまかせしてる感じ。毎年節分には、今年一年守ってくれるらしいお守りとお札が届けられる。出産のときの腹帯も、買って、神社までおはらい(?)お祈り(?)に行ったのは母。仕事忙しくてそれどころじゃなかった上、そのありがたい腹帯を巻いたのは一回だけ。だって、朝あわただしいときに、あんな手間かかるもん巻いてられないよ!
もち、厄年もほったらかしにしてたら、母がちゃんとどっかで厄落としをして、いわれのとおり、長いもの(水晶のネックレス)を買ってくれた。効き目あるのか? 代理で?
そんなやぶれかぶれでこの年になったけど、自分の体力や運なんかはなんとなくわかってるし、まぁ、たいそうなこともなかった。…と思う。 大難産で帝王切開したり、自分の厄年に当時の夫が入院したのは たいそうなことなのかどうかわからないけど。
でも、自分以外のことなると、これがなんとなく心配だ。 元気そうなのに、わけわかんない病気したり、利発でなんでもできるくせに、知らず知らずに大借金負ってしまっている友人が今年厄年だ。 さぁ、これは行かなきゃ、厄落とし!
人ごとになると、ちょっとした物見遊山。ワクワク気分で、地元で有名な厄落としのお寺に行くことにした。 車で約1時間、いつも味噌を買っている味噌屋のすぐそばにあるお寺。味噌買い時に隣のコンビニに車止めるけど、ゆっくり立ち寄ったことはなかった。
今日が今年最後の厄落としという日曜日、最終回の14時スタートの祈祷にギリギリセーフ! 意外なほどたくさんの人がいて、こんなのは働き盛りの40代か、60代かと思ったら、20代のイマドキの男の子もいる。 みんな信心深いんだなぁ、5000円もいるのに。
しかしこの祈祷、有名寺だからか、なかなかすばらしかった。そう広くもない本堂にお坊さんが6~7人がかりで 南無大師遍照金剛と唱え、バカでかい太鼓を打ち鳴らし、各自が名前や生年月日を書いた護摩木を火にくべる。 お題目と太鼓と、護摩木がパチパチはぜる音が、なんとも「ご利益ありそ~」なのだ。 不謹慎だが、私は付き添いなので、じっくり観察させてもらった。 調度品だけではない、マイクやスピーカーもずいぶん立派で、このお寺、規模は小さいけどなかなかやるな…と感心した。
帰りには、お坊さんが手にもったハリセン様のもので背中を叩いてくれた。 座禅道場みたいで、部外者だけどうれしそうに叩いてもらっといた。 帰りには、本人の名前を書いた立派なお札をくれる。奉り方まで添えてあって、仏教もなにもわからない若人にも安心だ。 あぁ、人ごとながらいい経験をした。 私までなんだか、幸せ気分だ。
しかし、隣のコンビニ。駐車場だと500円も取られた。境内に止めればタダだったのに、誘導についていってしまった。 ま、いいか。幸せなんだし。
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