かつての上司と、年に数回飲む機会がある。 私の初めての、そして最後のボスだと思っているこの人は、50代半ばで本社の取締役になった。 でも、いわゆる「エリート」とは全然違うタイプで、会社が嫌がる改革を、バリバリ音がするほどやり続けている。 絶対同じところに停滞しないこの人は、私の元気の素である。 長く同じところに勤めていると、解決は不可能に近い問題が山積する。 それに腐ったり、あきらめたり、開き直ったりしそうなとき、実にいいタイミングで、この人から声がかかる。 ありがたいことだ。
この飲み会の会場を決めるのは私。 そしてこの上司、店員さんの応対にはことのほかうるさい。
誰に対してもうるさいのだけど、私たちはそれに慣れているし、言われることはもっともなので仕方がない。 が、店員さんは通りすがりの人。 よほどのことでなければ、やり過ごすのが大人…というか、面倒くさいのでイチイチ言わない人が大多数だと思う。 しかし、この人は小さなことにも妥協しない。
前回行った中華料理屋では、店員がお客さん(私たちとは何の関係もない)の服に水をかけてしまったのに(ほんの少し)、謝罪が物足りないと言い、「すみませんで済ませてくれたからといって、クリーニング代を負担させてくれぐらい言えばいいのに」と。 そうですねと流す私を無視して、ついには店員さんに注意した。 若い店員さんは「キョトーン」だったけど。
一事が万事こうなので、今回は何が起こるかしらと少し楽しみだったりして。
今回はオープンしたての居酒屋。老舗の大手レジャー産業がバックなので、まぁ、大丈夫かなと。 もちろん事前に偵察はして、「すごくよくもないが、失敗もなさそう」判定を出していた。
個室に通され、注文した品物も待たさずに出てくるし(「タイミングよく」ではなく、「待たさずに」ってとこが低レベル。私も毒されている)、今回はなにごともないかしら…と思っていたところ。
話が盛り上がり、おなかも満たされてきて、注文が途絶えたところではあった。 ふすまを開けて、店員さんが入ってきた。 「?」
近ごろ、2時間で席を開けろという、人気を鼻にかけた勘違い店も多く、さすがに私も我慢しがたいので、その手は避けることにしている。 まさか、帰れと言うのではあるまいなと思ったところ、彼は無言で「空いた皿」を引き始めた。 一拍間を置いて愛しのボス、「なに? もう店、終わり?」 キターッ! o(>_<")○‥‥…━━━━━━━━
ところが店員さんはにこやかに「いいえ、一時までやっておりますので、ごゆっくり」と微笑んだ。 下っ端ではなく、ホールで上の方っぽい彼は、「話に割って入って、無意味に皿をさげている」のではなく、「邪魔になるからと気遣いで皿をさげている」ようだ。 ボスはそれくらいではあきらめない。 「急いで皿をさげるからどうしたのかと思って。話しているからいいよ」と、極上スマイルで返すと、さすがに下っ端ではないだけあって、雰囲気を察知したようす。 そそくさと引き上げていった。
難しいとこだ。 空いた皿は邪魔になるから下げるようにと、レクチャーされているのだろう。以前、最後の一口を待ち構えていたように皿を下げに来た昼食店では、さすがに「パスタ皿が足りないの?」と言ってしまったことがある。
もてなしの心を形にすることは難しい。そして、それは万人には通用しない。 さっさと皿を下げて欲しい人もいるのだ。 私の母は、実の父が食通酒飲み、夫が大酒飲み、自分もたしなむので、そのへんのことはよくわかっていた。 酒の席ではそそくさと片付けないこと、杯が止まっていてもお茶は出さないこと…それは、「もうお終いですから、帰ってください」を意味するから、最低限のルール。 「たいしたごちそうはなくても、長いこと座ってウダウダ言いたいのが呑み助だからね」と言っていた。
マニュアル通りの接客。居酒屋ばかりではない。 「一万円からお預かりします」「ランチのほうでよろしいでしょうか」 おかしな言い回しは どこの接客マニュアルからきたのだろう。
しかし、このボス、いくつのなってもあきらめない、衰えない。帰りのタクシーで「言わないとわからないんだよ」(店員の件ではなく)と繰り返し言っていた。 私は見てわからない人には言ってもわからないとすぐ投げてしまうタイプ。 新人教育には向かない。 不愉快な思いをしたら、その店には行かないだけ。 まだまだ修行が足りない。
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